おじいさんとの出会い

私が「出産」に注目するきっかけになった、あるおじいさんとの出会い。

私が使命感をおびて熱心に研究を続けるようになったテーマ=「出産」に出会う、驚きのきっかけがありました。1998年、アメリカメイン州で89歳になるおじいさんを施術した時のことです。施術をして欲しいと私の前に現れたそのおじいさんは、話す声も小さく地味な服装をしてとても内向的な性格でした。通常、頭蓋仙骨療法の施術は足先から頭に向かって手当てをしていきますが、ちょうど首にさしかかった時に、彼が「ガアアオオー」と大声で叫び 苦しみもだえ始めたのです。私も初めての経験で驚きましたが、そのまま手当てを続けました。しかし、心の中では彼が高齢でもあることから「頼むから死んでくれるな!」と冷や汗をかきながら祈っておりました。

hot-air-balloon-1563994_1920施術を終え彼の状態も落ち着いたところで 何があったのか尋ねたところ、彼はこう言いました。「僕は思い出したんだよ。母のお腹の中にいた時、へその緒が首に巻き付いてとても苦しかったんだ! そういえば子どもの時から首の周りがつかえている感じがして、教会に行く時に着けさせられるネクタイが嫌でいつも気がつくと外していたよ。なんだ、そういうことだったんだ!!!」そして、数日後街でばったり彼に再会した時、私は我が目を疑いました。あんなに嫌がっていたタートルネックの、しかもとても派手な明るい色のセーターを着て 、マフラーを首に巻きつけ「フジ~!」と大声で呼びながら私を公衆の面前で抱きしめるのです。

地味で内向的だったおじいさんが突然元気で明るいおじいさんに大変身です。出生時の何らかの不都合・トラウマは、解放されないと本人の自覚があるなし関係なく それはいつまでも内在し続けます。しかし89歳という年齢になってもひとたびそれが解放されるとその人の性格や趣味趣向までも激変させるほどの変化が起きるということをこの出来事から学びました。

それが1998年のことです。その当時同じ町にいた助産婦さんにこのおじいさんの出来事を話すと、自分の取り上げた赤ちゃんたちを診てほしいということで、そこから私の『出生時における骨格的なアプローチから見たトラウマの実態とその解放法』の調査研究が始まりました。そしてその調査が実を結び2000年にアメリカ・ニューイングランド地方(マサチューセッツ州、コネチカット州、ニューハンプシャー州、メイン州、バーモント州、ロードアイランド州)の助産婦協会の大きな大会で「自然分娩の大切さ、出産に起こるトラウマの実態とその解放法」と題した講演とワークショップを行なわせていただきました。

その後この手当て法を日本でもお伝えするのが私の使命と感じるようになり、11年間のアメリカ生活に終止符を打ち2005年に日本に戻ってまいりました。帰国後も福岡の自然分娩で高名な「春日助産院」「なかむら産家医院」「水巻助産院」にて産前産後のお母さんと赤ちゃんのケアと講習会活動を通して調査研究を続けてまいりました。

その活動が認められ、2011年から毎年 福岡水巻看護助産学校にて非常勤講師として「頭蓋仙骨療法」を担当、同年より日本赤十字九州国際看護大学大学院にて非常勤講師として 補完代替医療「頭蓋仙骨療法」を担当し、助産学の教育現場にも毎年参加させていただいております。

小さな男の子との出会い

35年以上の長きにわたり、障がい児(者)の治療・療育の仕事に携わることになったきっかけがあります。それは、大学時代心身障害児福祉を専攻していた時に出会った、当時2歳の重度脳性まひの男の子の経過の様子です。

その男の子の家族は、ある脳障害機能改善のホームプログラムを実践していて、私は学生ボランティアとして2年間そのお手伝いをしました。

初めは寝たきりで、医者から一生自分の足で立つことは出来ないと宣告されていたその男の子がなんと2年後には外で元気に走り回れるようになったのです。

動けないからといって何もしないでそのままベッドに寝かせていたらその男の子はどうなっていたでしょう。 彼は驚異的な回復を見せてくれました。

医者から言わせると「奇跡」に近いことが起こったのです。

ご両親をはじめ彼の周りにいる全ての人が、彼の中に潜む人間として前に向かって生きていこうとする生命力の存在を信じて疑わず、毎日彼に対する働きかけを地道に続けたことがこういった素晴らしい結果を生み出したのです。

彼が一歩一歩着実に自分の歩みを進めていく姿を目の当たりにし、私の魂は深く揺さぶられ、涙が出るほど心の底から感動しました。

たとえ今は身体が動かなくても 人間の身体の中は生きる力で溢れている!人間として成長していく力は全ての人が持っている!それを引き出すための手助けがしたい!

大学卒業と同時に、この熱い想いだけを胸に私は脳機能改善の更なる研究の為に片道切符でアメリカへ飛び出していきました。この若き日に抱いた熱い想いが私の原点であり、現在も私をずっと支え続けてくれています。