ふたりめの恩師

以前、大学時代の心身障害児ゼミの恩師のお話をいたしましたね。

今日は、私が、マクロバイオティックの勉強を本格的に始めた時のお話です。

 

当時私たち家族( 妻、娘二人 )は、滋賀県の瀬田駅 近くに住んでいました。

 

親友の家族( 妻の姉夫妻と娘 ) と一緒に、障がい児のための療育ホームプログラムを作成していく仕事をしていました。

娘達も小さかったので、生活全般もマクロバイオティック的な生活でした。

 

大阪にマクロバイオティックの本部の「正食協会」があり、毎月講習会や講演会、

料理教室等に通っていました。

家族にとってマクロバイオティックは食育だけでなく、生き方そのものでした。

 

当時の正食協会の会長様は、山口 卓三 先生でいらっしゃいました。

いつもニコニコ笑顔がとても素敵な方でした。

 

出会いは、最初のクラスに参加した時に、私の席の前に痩せた小柄な男性が

座っていらして、こんなおじさん⁉️でも勉強させる熱心な方だと思っていましたが、

司会者の方が、正食協会の会長のご挨拶、と言われるとそのおじさんが立たれ皆さんの

方を向かれて挨拶をされました。

それが私と山口卓三先生との出逢いでした。

 

何ヶ月かして、いつもクラスの一番後ろの席からクラスの様子を見られていらした

先生が私の方に近づいてこられて「あなたはどのようなお仕事をされているのですか?」

と質問されたので、「滋賀県の方で障がい児の療育をしていて、子ども達の食育のために

勉強しています。」 と答えると、

「私も以前滋賀県のびわ湖学園で働いていたことがあります。」と教えてくださいました。

 

当時のびわ湖学園創設のため、

福祉の父と言われた糸賀一雄先生とマクロバイオティックの桜沢如一先生とが共同で

作られたということを初めて卓三先生から聞きました。

えええええええええ‼️‼️‼️‼️

糸賀一雄先生の弟子のゼミの藤村先生と桜沢如一先生の弟子の山口卓三先生は同じ

思いで子ども達の未来のために同志として生きていらしたのだ‼️‼️‼️‼️

なんという偶然でしょう‼️

私はそのお二人に学んでいるのです。 これは運命です‼️

なんて幸せなことでしょうか‼️

 

この日はいそいそとはずみながら家に帰って、今日のことを妻に話しました。

「あなたの人生はその出会いをするためにあったのです。」と妻が言いました。

 

それからもマクロバイオティックを学ぶことが楽しくていろいろな講習会に参加して来ました。

 

その経験が食べ物のことだけでなく、私たちの生き方までも応用でき、

中芯軸ができたせいで、今でもその知識と実践が活かされています。

 

山口卓三先生の教えを守り、また先生の顔に泥を塗らないように、まだまだ精進して行く

所存です。

 

マッキー

恩師

私の人生を変えた恩師についてお話しいたします。

私が大学3〜4回生で受講していた心身障がいゼミ。

そのゼミの教授の名前は 藤村 哲 ( ふじむら てつ )先生です。
痩せていて白髪頭のメガネをかけ、お酒とタバコをこよなく愛し、いつもニコニコ笑顔にあふれた優しい方でした。

 

先生が32歳の時、日本で「福祉の父」と言われた、糸賀一雄先生 にスカウトされ、西日本初の重症児施設「びわこ学園」建設のため日々企業や厚生省周りをされて、その設立に大変貢献されました。その御苦労たるや、数ヶ月ですっかり白髪になられてしまったそうです。

藤村先生は、その時の苦労話や糸賀一雄先生とのエピソードをよくゼミの中でお話ししてくれました。

 

その中で、特に印象に残っている言葉は、

 

この子ら 『を 』世の光に 」 です。

 

「何で「この子たちに愛の手を」という様な言われ方をしなければならないのか⁉️

この子たちの存在こそ、私たちの社会、あるいは私たちの人間観を切り拓いていく

大変な、重要な存在だというように考えると、

何故、「 この子ら 『に』」というような言われ方をしなければならないのか⁉️

「 この子ら『を 』世の光に」なんだよ 」

 

今も鮮明に、藤村先生の情熱に溢れた生き様とあの力強い言葉が、私の心の中の深いところに染み込んでいて、今でも私の原点です。

藤村先生は現場からの叩き上げで生きてこられた方ですから、

 

どこからの目線か」をいつも厳しく指摘され、


「自分で行動して体験して来なさい‼️」  と、決して答えを言われない先生でした。

藤村ゼミの学生たちは、自分で問題を発見して、自分で問題解決していく訓練を随分させられました。

 

「君らの中に将来施設で働く人が出ると思うが、施設で子どもたちが作る物(作業所で)を

人に「お情け」で買ってもらうような品物だけは作らせるなよ‼️」

 

「君達が創意工夫しながら問題解決していく癖をつけていきなさい‼️」

 

ゼミ生達は幾つかのボランティア活動をしていて、

私もその中の一つの家族のところでお世話になることになりました。

それが、ドーマン法との初めての出会いでした。

 

その当時からドーマン法は虐待に近い方法である。という世間の噂がありました。

しかし藤村先生は、

 

『  先ず自分で体験してから判断しなさい。


でないと人の意見に振り回されてしまう事になる。


真実が見えなくなる‼️ 』   と 言って送り出してくれました。

 

ボランティア先の小さな男の子は、2歳の時に風邪で高熱を発症して、ウイルスが脳脊髄液に侵入して重い脳障がい児となってしまいました。

 

ある時、お母さんはポツリと言われました。

「 世間では、この療法を人権無視だとか、虐待だとか噂されているけど、子どもを施設に預けて全く会いにも来ない親や、人任せに依存してしまうことの方が虐待に近いと思う。」

「この子の中には溢れる生命力がみなぎっている。その輝きを煌めかせるため地道にコツコツと訓練を続けてるの。 結果はそれに伴って現れてくるものなの。」

 

子どもの潜在能力を信じ、

毎日実行して、成果を上げてきているから出てきた言葉で、

全く迷いのない信念が感じられました。


口先だけで実際に経験していない人達や

口先だけで批判だけするような人達には、

決してわからない世界だと思いました。

 

そんなある日、そのお母さんから、

「 藤牧君、あなたドーマン研究所で勉強してみる気ある⁉️」と聞かれました。

「 実は、研究所で日本人スタッフを募集しているみたいよ! 今度ドーマン研究所の人が日本に来る時に面接があるようなの。あなたのことを話しておいて良い⁉️」

以前からとても興味があって、勉強してみたい と思っていたので、

「 ハイ ‼️‼️ お願いします‼️‼️‼️ 」 即答していました。

 

親に内緒で、アメリカ大使館に行って、パスポートを取ってしまいました。

 

そして卒業式2週間後の4月1日に、片道切符だけでアメリカに渡りました。

…………それから4年近く研究生活を送って行きました。

 

言葉の通じない異国の地で、辛い時にはいつも大空を見上げて恩師の藤村先生のあの優しいお顔を思い出したものです。

 

現在の私は 、障がいを持つお子さん達に「療育プログラム」を提供していますが、私がこの自分の身体を使って実際に経験してきたこと 、そしてその後習得したマクロバイオテックの食事療法、頭蓋仙骨療法の臨床経験、それら全ての知識・経験を創意工夫してオリジナルなものに創り上げました。

藤村先生の言葉が無ければ、ただ学んだことをコピーするだけになっていたかもしれません。

 

藤村ゼミ生である誇りを胸に、また先生の顔に泥を塗らないように、まだまだ精進して行く所存です。

 

マッキー

グリア細胞とテッシュペーパー⁉

少し前のことですが、

去年2016年7月の東京での施術会で、 面白い〝気づき″ がありました。

ひとりの男の子が、テーブルの上に置いてあったティッシュ箱を、綺麗に分解して中身のティッシュを取り出してしまいました。

お母さんは申し訳なさそうに、 何度もすみませんと言われていましたが、

私の娘達も小さい頃、引っ張れば次から次と出てくるティッシュを面白がって引っ張り出して部屋中をティッシュの山にした事を思い出し、子どもなら普通の事!と全く平気でした ^_^

構造的にティッシュペーパーは、箱の中で綺麗に互い違いに折りたたまれていて、一枚取ると次のティッシュの一枚の半分が一緒に箱の外に出てきて取りやすい様になる……

とても綺麗に規則正しく何重にも層になっていて、「秩序」がそこには存在しているのです。

それを見て、……… はっ‼️ と 気付かされました‼️
脳 (中枢) と同じだ‼️
中枢神経の90%は、

グリア細胞 (=ノリの様なもので、脳神経を覆い囲んで、栄養供給や老廃物の排泄も行い、脳全体を護っている細胞で、とても綺麗で規則正しい秩序がそこには存在している ) で構成されています。

………………………………………………………………………………

アメリカ最新の頭蓋仙骨療法の世界では、どんどん研究と臨床が進み、もはや骨の可動域や脳脊髄液のパルス数を診るなんてことは、入門中の入門、いろはの「い」にあたるくらいのものです。

2015年に渡米し、アプレジャー研究所の頭蓋仙骨療法の講習会 「Touching the Brain 」を受講してから私の意識は、頭蓋骨や仙骨の骨からのアプローチより深部の脳神経細胞およびそれを支え護るグリア細胞へと移行していきました。

講習会受講以前から私は、頭蓋仙骨療法は「脳の構造・形を変えていく‼️」 と力説していました。
中枢神経系にねじれ、歪み、癒着等があるとその部分の血流、脳脊髄液の流れが悪くなり、脳疲労を起こし、誤作動を起こして、いろいろな障害が出てくる…… と。
まさに、頭蓋仙骨療法は、グリア細胞の修復を試みていたのです‼️

 

グシャグシャと秩序を失ったティッシュの束を一枚一枚元の様に順番に重ねていきながら、

シワになったティッシュを隅まで伸ばして丁寧に重ねていくプロセスが、

頭蓋仙骨療法のお手当が、中枢(脳・脊髄及び全身をめぐる神経細胞)の美しい秩序を整えるのものと一緒のプロセスの様に思えたのです。

丁寧に。丁寧に。やさしく、大切に。

全ての細胞の秩序が美しく保たれていると、その細胞たちは本来の機能を最大限発揮します。

 

この事に気づかせてくれたその男の子にこころから感謝です‼️
………………………………………………………………………………

その日はその男の子は、もうひとつ大事なことを思い出させてくれました。

彼は3月に引っ越しをして新しい学校で、環境の変化による過緊張からか人を叩くことも出てきたと、お母さんが話されていました。
自分の言いたいこと、思っていること、わかって欲しいことが相手に伝わらない。伝えられない。

相手の言うことは理解できているのに、それに対してうまく言葉が出てこない、もどかしさと怒りが臨界点を超えて、手が出て相手を叩いてしまうということが起こってしまうのですね……。
施術の最中でも腕や頭や顔 等彼に叩かれましたが、私はいっこうに気にせず施術をしていました。

…………………………………………………………………………………………

私の初の海外経験が、今から36年前のアメリカ・フィラデルフィアのドーマン研究所でした。アメリカ人や世界中からやってきた外国人のスタッフたちや障害児・者たちとの生活です。
ただその治療法・訓練法を学びたい一心で、後先何も考えずに大学卒業たった2週間後に、片道切符だけで渡ってしまい、気がつくと4年近い月日が流れていました。
渡米前はほとんど気にもしていなかった「言葉」という大きな分厚い壁が目の前に立ちふさがりました。
自分の思っていることを相手に伝えられないのです。

相手と話したいと思っても自分の気持ちを的確に伝えられなかったのです。

自分は いろいろなことを理解しているし、アイデアもそれを実行する能力もあるのに、十分に発揮できない苛立ちと自分自身に対する激しい怒り。

その思いを何処にも発散できず、

とうとう怒りが爆発して、何度も自分の拳を壁や岩に打ち付けていた若かりし日々。

そんなある時、
「 俺はこの様に苦しんでいる子ども達のこころの通訳が出来る人間になろう‼️ 」

と決心しました。
それから長い月日が過ぎて………

頭蓋仙骨療法に出会い、たくさんのお子さんたちのサポートをさせていただいております。
今回の東京施術会でのその男の子から、
その時の 「 初志貫徹‼️ 」 を思い出させてくれた貴重なものでした。
ありがとう K君‼️

マッキー