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6/17(土)神戸で講演します

6/17(土)神戸で「BSケア」という乳房ケアの団体の全国大会で講演します。(BSケアについてはこちら)

タイトルは「赤ちゃんからみたお産と母乳育児の必要性」です。f

BSケアなどの乳房ケアでお母さんのおっぱいはふわふわ柔らかくなり、とても良いお乳が出るようになったにもかかわらず、赤ちゃんがちゃんと飲めず母乳育児が困難になるケースが多い、という声をたくさん聞きます。

これは、赤ちゃんがその場の空気を読めないのでも、気まぐれなのでも気難しいのでもなく、「骨格的に」上手く吸えない理由があるのです。また、そういった赤ちゃんにみられる共通点は、

・身体に緊張が強く、エビぞりになる

・床に置くと大泣きする

・向き癖がある

・いつも泣いている、夜泣きが多い

・あたまの形が悪い

などが挙げられます。こういった赤ちゃんの多くは、頸椎(首の骨)にロックがかかり、その結果、側頭骨や顎関節の可動域が狭く、うまく口を開けることが出来ないのです。

本当は赤ちゃんだって大好きなお母さんのお乳を元気よくたくさん吸いたいのですよ。でも出来ないから泣いたり身体を反らしたりして必死で訴えているのです。その身体の『声』を聴いて、骨格的に『通訳』するのも私の役目だと思っています。

口を一生懸命動かすという事は、口蓋のすぐ上に位置する脳の成長にもとても大きな影響があります。そして赤ちゃんは全身の力を振り絞っておっぱいを吸いますので、原始反射の統合という面でもとても大切な行為なのです。

この時期に、赤ちゃんがしっかり自分の力でおっぱいを吸うということは、その後の成長発達にもとても大きな影響があります。その後の長い人生の発達過程のスタート地点です。

「発達障がい」との骨格的関係性などもこの講演会で話してきたいと思っています。

6/17の講演会には一般の方も参加できるようなので、ご興味がある方はBSケアまでお問い合わせください。場所は、「神戸国際会議場」会場は12:30~です。

BSケア http://bscare.net/

BSケア講演会チラシ :ワードファイル

BSケア講演会チラシ:PDF


第8回 母乳育児支援者の饗宴

BSケア発展セミナー 特別企画in神戸

第8回BSケア発展セミナー特別企画(BSケア発足14年目)は、関西の地・神戸で開催します。 着実に増えた関西の仲間達で、皆さんをお迎えいたします。皆様のご参加お待ちしています。


<開催日時> 平成29年6月17日(土)~18日(日) 
〔16日(金)はプレゼンター会議・任命式予定〕

<開催場所>神戸国際会議場   501
兵庫県神戸市中央区港島中町6-9-1

<宴会・宿泊>神戸ポートピアホテル(会議場横)


ふたりめの恩師

以前、大学時代の心身障害児ゼミの恩師のお話をいたしましたね。

今日は、私が、マクロバイオティックの勉強を本格的に始めた時のお話です。

 

当時私たち家族( 妻、娘二人 )は、滋賀県の瀬田駅 近くに住んでいました。

 

親友の家族( 妻の姉夫妻と娘 ) と一緒に、障がい児のための療育ホームプログラムを作成していく仕事をしていました。

娘達も小さかったので、生活全般もマクロバイオティック的な生活でした。

 

大阪にマクロバイオティックの本部の「正食協会」があり、毎月講習会や講演会、

料理教室等に通っていました。

家族にとってマクロバイオティックは食育だけでなく、生き方そのものでした。

 

当時の正食協会の会長様は、山口 卓三 先生でいらっしゃいました。

いつもニコニコ笑顔がとても素敵な方でした。

 

出会いは、最初のクラスに参加した時に、私の席の前に痩せた小柄な男性が

座っていらして、こんなおじさん⁉️でも勉強させる熱心な方だと思っていましたが、

司会者の方が、正食協会の会長のご挨拶、と言われるとそのおじさんが立たれ皆さんの

方を向かれて挨拶をされました。

それが私と山口卓三先生との出逢いでした。

 

何ヶ月かして、いつもクラスの一番後ろの席からクラスの様子を見られていらした

先生が私の方に近づいてこられて「あなたはどのようなお仕事をされているのですか?」

と質問されたので、「滋賀県の方で障がい児の療育をしていて、子ども達の食育のために

勉強しています。」 と答えると、

「私も以前滋賀県のびわ湖学園で働いていたことがあります。」と教えてくださいました。

 

当時のびわ湖学園創設のため、

福祉の父と言われた糸賀一雄先生とマクロバイオティックの桜沢如一先生とが共同で

作られたということを初めて卓三先生から聞きました。

えええええええええ‼️‼️‼️‼️

糸賀一雄先生の弟子のゼミの藤村先生と桜沢如一先生の弟子の山口卓三先生は同じ

思いで子ども達の未来のために同志として生きていらしたのだ‼️‼️‼️‼️

なんという偶然でしょう‼️

私はそのお二人に学んでいるのです。 これは運命です‼️

なんて幸せなことでしょうか‼️

 

この日はいそいそとはずみながら家に帰って、今日のことを妻に話しました。

「あなたの人生はその出会いをするためにあったのです。」と妻が言いました。

 

それからもマクロバイオティックを学ぶことが楽しくていろいろな講習会に参加して来ました。

 

その経験が食べ物のことだけでなく、私たちの生き方までも応用でき、

中芯軸ができたせいで、今でもその知識と実践が活かされています。

 

山口卓三先生の教えを守り、また先生の顔に泥を塗らないように、まだまだ精進して行く

所存です。

 

マッキー

恩師

私の人生を変えた恩師についてお話しいたします。

私が大学3〜4回生で受講していた心身障がいゼミ。

そのゼミの教授の名前は 藤村 哲 ( ふじむら てつ )先生です。
痩せていて白髪頭のメガネをかけ、お酒とタバコをこよなく愛し、いつもニコニコ笑顔にあふれた優しい方でした。

 

先生が32歳の時、日本で「福祉の父」と言われた、糸賀一雄先生 にスカウトされ、西日本初の重症児施設「びわこ学園」建設のため日々企業や厚生省周りをされて、その設立に大変貢献されました。その御苦労たるや、数ヶ月ですっかり白髪になられてしまったそうです。

藤村先生は、その時の苦労話や糸賀一雄先生とのエピソードをよくゼミの中でお話ししてくれました。

 

その中で、特に印象に残っている言葉は、

 

この子ら 『を 』世の光に 」 です。

 

「何で「この子たちに愛の手を」という様な言われ方をしなければならないのか⁉️

この子たちの存在こそ、私たちの社会、あるいは私たちの人間観を切り拓いていく

大変な、重要な存在だというように考えると、

何故、「 この子ら 『に』」というような言われ方をしなければならないのか⁉️

「 この子ら『を 』世の光に」なんだよ 」

 

今も鮮明に、藤村先生の情熱に溢れた生き様とあの力強い言葉が、私の心の中の深いところに染み込んでいて、今でも私の原点です。

藤村先生は現場からの叩き上げで生きてこられた方ですから、

 

どこからの目線か」をいつも厳しく指摘され、


「自分で行動して体験して来なさい‼️」  と、決して答えを言われない先生でした。

藤村ゼミの学生たちは、自分で問題を発見して、自分で問題解決していく訓練を随分させられました。

 

「君らの中に将来施設で働く人が出ると思うが、施設で子どもたちが作る物(作業所で)を

人に「お情け」で買ってもらうような品物だけは作らせるなよ‼️」

 

「君達が創意工夫しながら問題解決していく癖をつけていきなさい‼️」

 

ゼミ生達は幾つかのボランティア活動をしていて、

私もその中の一つの家族のところでお世話になることになりました。

それが、ドーマン法との初めての出会いでした。

 

その当時からドーマン法は虐待に近い方法である。という世間の噂がありました。

しかし藤村先生は、

 

『  先ず自分で体験してから判断しなさい。


でないと人の意見に振り回されてしまう事になる。


真実が見えなくなる‼️ 』   と 言って送り出してくれました。

 

ボランティア先の小さな男の子は、2歳の時に風邪で高熱を発症して、ウイルスが脳脊髄液に侵入して重い脳障がい児となってしまいました。

 

ある時、お母さんはポツリと言われました。

「 世間では、この療法を人権無視だとか、虐待だとか噂されているけど、子どもを施設に預けて全く会いにも来ない親や、人任せに依存してしまうことの方が虐待に近いと思う。」

「この子の中には溢れる生命力がみなぎっている。その輝きを煌めかせるため地道にコツコツと訓練を続けてるの。 結果はそれに伴って現れてくるものなの。」

 

子どもの潜在能力を信じ、

毎日実行して、成果を上げてきているから出てきた言葉で、

全く迷いのない信念が感じられました。


口先だけで実際に経験していない人達や

口先だけで批判だけするような人達には、

決してわからない世界だと思いました。

 

そんなある日、そのお母さんから、

「 藤牧君、あなたドーマン研究所で勉強してみる気ある⁉️」と聞かれました。

「 実は、研究所で日本人スタッフを募集しているみたいよ! 今度ドーマン研究所の人が日本に来る時に面接があるようなの。あなたのことを話しておいて良い⁉️」

以前からとても興味があって、勉強してみたい と思っていたので、

「 ハイ ‼️‼️ お願いします‼️‼️‼️ 」 即答していました。

 

親に内緒で、アメリカ大使館に行って、パスポートを取ってしまいました。

 

そして卒業式2週間後の4月1日に、片道切符だけでアメリカに渡りました。

…………それから4年近く研究生活を送って行きました。

 

言葉の通じない異国の地で、辛い時にはいつも大空を見上げて恩師の藤村先生のあの優しいお顔を思い出したものです。

 

現在の私は 、障がいを持つお子さん達に「療育プログラム」を提供していますが、私がこの自分の身体を使って実際に経験してきたこと 、そしてその後習得したマクロバイオテックの食事療法、頭蓋仙骨療法の臨床経験、それら全ての知識・経験を創意工夫してオリジナルなものに創り上げました。

藤村先生の言葉が無ければ、ただ学んだことをコピーするだけになっていたかもしれません。

 

藤村ゼミ生である誇りを胸に、また先生の顔に泥を塗らないように、まだまだ精進して行く所存です。

 

マッキー